スクールブログ Hygee's Garden

5月14日(月)に、体育祭を開催いたしました。

天候の影響で1日順延となりましたが、今年度の学園祭テーマ「Sunshine」に相応しい快晴で体育祭当日を迎えることができました。

平日の開催にも関わらず、多くの保護者の方々や地域の方にご来場いただきました。最後まで応援ありがとうございました。

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開会式では吹奏楽部の演奏の下、バトン部の演技を先頭に生徒が入場します。

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入場門・退場門は毎年、美術部の生徒がデザインしています。

今年度は高2桜組の小松さんがデザインをしてくれました。

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生徒による選手宣誓は、英語で行われました。

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バトン演技の後、いよいよ競技が始まりました。

生徒たちは練習の成果をしっかりと発揮していました。

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中学生・高1の元気ではつらつとしたダンス、高2の一体感のあるソーラン・ハネトで会場を盛り上げてくれました。

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高3の民踊では浴衣を身に纏い、最高学年らしく落ち着いた美しい踊りで学校生活最後の体育祭を飾りました。IMG_6303IMG_6291IMG_6296IMG_6321IMG_6327IMG_6329IMG_6337

最後は全校生徒がグラウンドに集まり、「比治山音頭」を踊りました。IMG_6365

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今年度は白組が勝ちました。

校長先生からは「白組、優勝おめでとう。紅組、準優勝おめでとう。」「皆に金メダルを贈りたい」とお言葉を頂きました。

 

生徒会役員の生徒たちも、今日一日会場を駆け回り、しっかりと働いてくれました。

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体育祭終了後は生徒会と高1の生徒が片づけをしました。

IMG_6411_2ご観覧の皆様の温かな声援を頂き、無事に体育祭を終えることができました。

生徒にとっても思い出に残るよい体育祭になったことと思います。

2月3日(土)の午後,今年度4回目の「ひじっ子みゅにてぃーくり~ん」(略して「ひじこみ」)を行いました。

「ひじこみ」は中学生徒会が主催する行事で,いつもお世話になっている地域にお礼の気持ちを込めて,年に3~4回学校周辺のゴミ拾いをしています。

「ひじこみ」を始めて,今年で10年目となりました。

寒波も迫り寒い中でしたが,今回も80名余りの生徒たちがボランティアで参加してくれました。

清掃後,参加者には家庭科の先生方のご協力をいただきながら中学生徒会が準備した,温かい豚汁が振る舞われました。(写真を撮り損ねてしまいました…)

ご協力いただいたみなさん,どうもありがとうございました。

今年度の「ひじこみ」は今回で終了です。次回は4月に開催予定ですので,ご参加お待ちしています!

高校生徒会有志と高校ソフトテニス部有志が,南区の出汐交差点で行われた,自転車マナーアップキャンペーンに参加してきました。

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出汐交差点は,南区で最も交通量の多い交差点と言われています。

毎年,年に数回,警察署の方と,南区5校の高校生たち,南区母の会の方などが,自転車の事故防止を呼び掛けるため,キャンペーンを行っています。

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午前7時30分~8時10分に交差点付近へ立ち,通行する方々に挨拶をしました。やはり,通勤通学の人たちで混雑し,時々ひやりとするような場面もありました。

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警察署の方からは「一昨年から昨年にかけて,人身事故の数は40件減っているのに対し,自転車の事故件数は4件しか減らせていない」とお話がありました。

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自転車通学生の多い本校も,しっかりと交通ルールを守って事故防止に努めていきましょう。

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Dec 2017

生徒会年末清掃

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12月26日(火)に、生徒会役員で年末清掃を行いました。

お世話になっている校舎に感謝の気持ちを込めて、2017年最後の大掃除です。

中学生も高校生も協力して、それぞれの担当場所をきれいにすることができました。

「掃除をすると、気持ち良く過ごせます」と言ってくれた中学生もいました。

掃除をしてくれたおかげで、気持ちよく新しい年を迎えられそうです!

みなさんありがとうございました。

11月24日(金)から25日(土)にかけて,生徒会のリーダー講習会がありました。

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中2、高1の新しい生徒会役員が,自己紹介やグループでのプレゼンテーションを通して,

リーダーとしての自覚やコミュニケーションの取り方などを育みました。

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1年間生徒会役員として活動してきた先輩たちにも来ていただき、お話しを聞きました。

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また、講習会中には、二つのプレゼンテーションに挑戦しました。

一つは,グループでスポーツ交流会の企画を立て,みんなの前でプレゼンテーションを行うというものです。

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プレゼンの結果1位に選ばれた企画を,実際に2日目の朝みんなで実行します。

この日選ばれたのはバレーボール大会の企画でした。

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企画が選ばれたグループは朝6時前に起き出し,まだ薄暗いグラウンドでネットを張ったりラインを引いたり,準備をしました。

朝7時には全員集合してバレーボールで体を温め,親睦を深めました。

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もう一つのプレゼンテーションは、来年度の学園祭テーマについて提案するというものでした。

自分たちが中心となって運営する体育祭や文化祭,その他行事の活動指針となるテーマをグループで話し合い,みんなの前で提案しました。

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1日目の夜と2日目の午前中を使って準備をし,それぞれユニークなプレゼンを行うことができました。

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投票の結果1位に選ばれたものを,今後,学園祭企画書としてまとめていきます。

この2日間,新たな生徒会活動のスタートとして,良い時間を過ごせました。

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11月13日(月)の朝,中学・高校の生徒会選挙が全校で行われました。

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現在の生徒会役員の運営により,本当の選挙さながらの投票が行われています。

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選挙の後,新しい生徒会が発足し,活動が始まります。

よりよい学校づくりや行事の運営など,たくさんの活動から多くのことを学んでいってほしいと思います。

また同時に,現在の生徒会は解散となります。一年間,本当にお疲れ様でした。

11月9日(木)に,中高生徒会選挙立会演説会が行われました。 IMG_4087IMG_4097

来週13日に、中学・高校それぞれ生徒会の役員選挙が行われます。

本日はそのための立会演説会が行われました。

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立候補者は、少し緊張しながらも、自身の想いや公約をアピールしていました。

昭和20年8月6日,広島に原子爆弾が投下され,今年は被爆72年目を迎えました。

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本校でも,旧比治山高等女学校の生徒73名,教職員2名の,計75名が原爆によって命を落とされました。このうち67名は,現在の護国神社入り口にあった,「中国軍管区司令部」での学徒動員の最中に原爆被害にあわれ亡くなりました。

本校では毎年,生徒会が主体となって,中国軍管区司令部跡にある慰霊碑で,8月6日に原爆死没者追悼式を行います。また,その後本校の「瞑想の森」の慰霊碑でも追悼式を執り行っています。

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世界恒久平和と,核兵器廃絶への誓いを胸に,生徒・職員で黙祷し献花いたしました。

 

また,今年の5月に,本校卒業生の岡 ヨシエさんがお亡くなりになりました。

岡さんは,昭和20年の8月6日,陸軍中国軍管区司令部の地下壕があったこの場所で,広島・原爆投下の「第一報」を伝えられました。

72年前の今日,何があったのか―,以下に岡さんの体験記を載せさせていただきます。

 

~交換台と共に~

昭和20年8月6日。 忘れることの出来ない日である。 私はその朝、前夜から勤務していたので、中国軍管区で朝をむかえた。 昨夜はいつになく多かった敵機の侵入の為、一寸ぼけた頭で朝食を済ませ、真青に晴れ上がった空をあおぎながら元気をとりもどして、交替迄の勤務に壕に入った。 今日は何時もよりおそい交替だなあと心の中で思って居る中に、8時頃より敵機の侵入である。そしてすぐ去る。

“空襲警報解除” ホッとする気持も束の間、又敵機は広島方面に侵入。 8時15分警戒警報発令の伝令が飛ぶ。 私は警報を各司令部、報道関係に知らせる役目をして居たので、交換機に一度に数本のコードをさして相手をよんだ。(何時もの事なのでさほど緊張感はなかった。)一斉に出た相手の方に、「広島、山口、警戒警報発令」を、言いかけた途端ものすごい紫色の閃光が目を射り、何か事故が・・・と思う瞬間、意識を失った。 2、3分もたったであろうか。 回復しかけた、意識のぼやけた目に灰色一色だけが目に入った。

舞い上がった砂塵がしだいにおさまり、意識も完全にはっきりして次第に明るくなった部屋の中、私はすわって居た元の位置より2m位飛ばされていることに気づいた。 机は横だおしになり、いすはこわれ、ただごとでない光景を目で追う中に、まだうすぐらい部屋の隅に板村さんが手で顔をおおってしゃがんで居る。 思わずかけ寄ると彼女が手をはなした。 目のまわりに血が・・・。

でもよかった、瞼にわずかな傷があった。 2人は机をざっと元にもどして外に出ようと隣の部屋に入る。 どの部屋も誰一人居ない。

板村さんより一歩おくれて外に出た私は一瞬呆然となった。 今迄あった司令部も、あっちこっちの建物も、ないではないか。 ただの木屑と壁土が山になっているだけ。 私は思わず濠の土手の上にかけ上った。 広島の街は・・・。 その目に映ったのはあまりにも残酷な瓦礫の街と化した広島であった。 赤茶けた想像することも出来ないむごい光景を目にやきつけながら私はその時初めて、「大変だ。」と血のさがる思いをしたのである。 下の方で兵隊さんが 「新型爆弾にやられたぞ。」 とどなっているのが聞こえる。 私は元の部屋にかけ込んだ。 そうだまだ通話の出来る所へ早く連絡を、そう思いながら電話機を持った。 九州と連絡がとれた。 そして福山の司令部へ、受話機に兵隊さんの声が聞こえるのももどかしく

「もしもし大変です。広島が新型爆弾にやられました。」

「なに新型爆弾!師団の中だけですか。」

「いいえ、広島が全滅に近い状態です。」

「それは本当か。」

大きくわれる様にひびく声。 その内に火の手が上がったのであろうか。 壕の上の草がパチパチ燃える音が耳に入った。

「もしもし火の手がまわり出しました。私はここを出ます。」

「どうかがんばって下さいよ。」 と兵隊さんの声を後に受話機をおく。 再び外に出ると炊事場のあたりではもう火がまわりパチパチと木のはぜる音がする。 その音にまじり建物の底から女の人の助けを求める声が耳に入った。

たまらなくなって水をかけようと板村さんとバケツをもって池の水を汲みに走った。 でも池の中は建物のくずが飛び散りほこりと砂でゴミすて場の様になって水は一滴もありはしない。 ああ駄目だ 他に出来ることは何か・・・、兵隊さんが下半身を建物の大きな柱にはさまれてもがいて居られる。 助けよう、出来るだけやって見ようと2人でかけ寄った。 でも組んだ様になってくずれている大きな柱は15才の少女が力一杯持ちあげても、ビクともしない。 傭員の松井さんがそこへ来て下さる。 3人は頑丈な棒を持って来て、力一杯柱をおこす。 少しずつ上がった。 身体をねじらせて兵隊さんも一生懸命はい出る努力をされる。 そして人一人を助けることの出来た喜び。 三人は手を取り合って喜んだ。 でもまだたくさんの人が・・・。

2人は走るようにして大本営跡の広場へ上がった。 大本営のまわりの芝生には負傷された兵隊さんが4、5人おられた。 その芝生に火の粉が散ってきて火がつきそうになる。 大本営の後にあった兵舎から軍服をとって来て火のついた草をたたいてまわる。 そのうちに手に負えなくなった。 火の手はあちこちにあがりぐるりと火に囲まれてしまった。 幾百年の歴史を秘めた城門も完全に火に包まれてしまった。 土手の草々も真っ赤になって、私達はものすごい熱気にたまらなくなり、泥水となっている大本営前の池につかった。 パシパシに乾燥した髪、あつくなっている服、頭から泥水をかけても一寸の間にからからにかわいてしまう。

今何時かしら?・・・ あの瞬間からどの位時間がたったのかしらと思いながら仰いだ空は、けぶってどんより暗い。 その中に此の世の色とは思えぬ不気味な赤さにくっきりと太陽が見えた。 その時でさえ、父の顔も母の顔も浮かんでは来なかった。 ただひたすらに国の為と教育され、職場で何時でも死ねる覚悟は出来ていたからであろう。 不意に、大粒の黒い雨が降って来た。 それは、ドロドロのまるで泥水である。 ものすごい豪雨になってあわてて負傷者を壕に運んだ。 10分か15分かたつとものすごい雨が嘘のようにやんだ。 私達は友達の姿を探した。 幼年学校に通じる城東橋迄来ると浜岡さんに逢った。 彼女は右手の関節の内側の皮がさけ肉がはみ出て、関節はくだけ右手はブラブラになっていた。 なんというむごさだろう。 むしょうに水をほしがる彼女! でも飲み水なんてどこにもないのだ。 赤ちゃんをなだめる様にして皆の行方を聞く。

「幼年学校の方へ皆行ったのよ。」 というので、「後ですぐ来るからね。」 と念をおして橋を渡りかけて途中迄来たとき、後ろでドボーンという音。 とっさに私は浜岡さんでないかと思った。 どうかちがうようにと祈る気持で走って帰ると、水を飲みたい一心の友は、堀に飛び込んですでに助からない状態で浮かび上がっていた。 全身火ぶくれになり、目がつぶれてしまい手はボロがさがったように皮がはげてしまった可哀相な奥田さん。

私は全身無傷の自分がみんなにすまなくてつらい気持でいっぱいだった。 お城の裏の方に逃げまどっている友はいないかと、お城の下を板村さんと一周した。 時間も何時かすぎ、木も草もやけ切れて、日もくれかかった頃、一緒の班だった古池さんや、宮川さん、森田さん達が帰ってきた。 再会を喜びながら、他県から救護に来られた兵隊さん達と一緒におにぎりを作った。 そして負傷されても割合元気な方達に配る。 私はおいしいと思って食べた。 そういえば朝から何も食べていなかった。

仮の収容所が幼年学校に出来て、大本営跡の芝生に居られた兵隊さんもそちらへ移られた。 背中に20センチ程の棒切れが突きささった青木参謀は青ざめた顔で、看護兵の手当てを受けて居られる。 大の男の兵隊さんが脱脂綿を多めに背中に当てて、力一杯棒を抜きとられた。 見るまに脱脂綿が血に染まって少々では足りない。

色々な傷を見た。 脳天に穴のあいた兵隊さん、脈うつ度に中の肉が一緒にヒクヒク動く。 全身黒こげで死んで居る兵隊さん。 空をにらんだまま目をむいで死んでいる兵隊さん。 お腹が破れて腸がはみ出て死んでいる兵隊さん。 負傷した兵隊さんが地の底からうめく様な苦しい声で 「おかあさーん」 と叫んでいるのが暗い夜空に尾をひいて、まるで地獄に居る様な思いだった。 つかれ切って何時の間にか私はねむってしまった。

8月7日は朝早くから森田さん板村さん達と仮収容所へ看護へ行く。 太田さんもいた。 水野さんも向井さんも。 全身ひどい火傷のクラスメート、夏の暑さの為に傷に蛆がわいてそれを痛いとひと言も言わず 「仕事をさして下さい。」 「私は行かなければ・・・」 「交替の時間です。」 と健気な友の声に私達は涙が止まらなかった。 一日中看護につきっきりで7日の夕方が来た。 一人二人と兵隊さんが亡くなって行く。 友達4、5人で表の城門の方へ水を汲みに出かけた。 第一の城門わきに、まだ年若いアメリカ兵が横になっていた。 しきりに 「ウォーター、ウォーター」 と私達によびかける。 少し可哀相だけど水なんかやれない。 私達の広島を、私達の同胞を、こんなにいためつけた国の人に。

あちらこちらにまだ火がくすぶって居る。 城外に出ると、やけにアスファルトが足の裏にあつい。 まだとても紙屋町迄行くのも無理であろう。 父や母はどうしているであろうか、帰れるものなら帰って元気な姿を見せて安心させてあげたいと思った。 夜、壕の中では仕事が続けられた、 まだ戦争は終ってはいないのだ。 情報が入りそれを送らなければならない。 あちこちに手伝いにちらばっている為、夜の伝令も必要だ。 私は幼年学校への伝令をかって出た。 途中傷ついた人のうめき声にびっくりして走り出せば何かにつまづいた。 見れば死体である。 暗い夜道はただでさえこわいのに、歯をくいしばってこわさにたえた。 帰り道は2、3人の友と山中先生も一緒であった。 死の町に月がのぼり真上にあった。それは細い上弦の月であった。

山中先生が 「皆はあの月を何と見るか。」 と言われた。 私は 「上弦の月ですか。」 と尋ねた。みんなも口々に何か言った。 最後に山中先生が 「あれは荒城の月だよ。」 と言われた時みんな一瞬しんとなった。 昨日迄そびえていた五層の天守閣はもうそこにはない。 くずれおちてしまったその上に侘びしい月の光!! まさに荒城の月でなくてなんであろう。

あけて8日。 友達は次々に亡くなって行く。 美しい純粋な気持を持って清らかな少女は最後迄仕事のことばかり口にして死んで行った。 竹槍を持ったまま即死に近い状態で死んだ西丸さんや佐藤さん服部さん。 歌を口ずさみながら全身やけどなのに美しい笑い顔さえ浮かべて息をひきとった友。 日本刀を杖に夕やみ迫る空を、じっとにらむ様にして立っていらっしゃった美しい須川先生。 自分のシャツを引きさいて生徒の看護に懸命につくされた、校長先生の慈愛と悲しみみちた姿! 24年たった現在も忘れることは出来ない。

生き残った私達のつとめは、続けられる限り毎年8月6日には集まって若くして逝った亡き友の冥福を祈り、思い出を新らたにしたいと思う。

最後に原爆の日に福山の司令部に連絡電話をした兵隊さん、小川国松さんに42年2月、東京で奇しき対面をしたことをつけ加えてこの筆をおく。 (『炎のなかに』より)

 

6月21日(水)は,本校の美化日でした。

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本校では月に一度,全校生徒での大掃除「美化日」があります。

生徒は6限が終わったら,体操服に着替えて掃除を行います。

日頃の掃除ではなかなか手が行き届かないところまで,丁寧に掃除をすることができます。

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先生も一緒に掃除をします。

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また,掃除の点検や掃除道具の配布・管理は,生徒会が運営します。

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昨日から今朝まではお天気が心配でしたが,掃除のときには雨も上がり,しっかりと掃除をすることができました。

6月17日(土)のお昼から,今年度2度目のひじっ子みゅにてぃくり~んが開催されました。

今回のひじっ子みゅにてぃくり~んには,中高合わせて70名近くの生徒が参加してくれました。

最初に全体で集合し,清掃活動についての説明を受けました。

その後,7つのグループに分かれて,学校周辺の清掃活動を行いました。

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中学校の生徒会役員が主体となって取り組むこの行事,前回は残念ながら途中で雨が降ってきてしまいましたが,今回は天候にも恵まれ,しっかりと地域の清掃を行うことができました。

次回は少し先になってしまいますが,12月に実施予定です。

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